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たまプラーザ南口胃腸内科クリニックブログ
Clinic Blog
2013年10月18日
こんばんは、医師の平島です。
先日、大学受験のために浪人生活を送っていた広島での予備校時代の友人と20数年ぶりに再会しました。医学部をお互い目指して、同じ目標に向かって頑張っていた数少ない予備校時代の友人でした。同じ目標を持った貴重な友人でしたが、予備校時代が終わってからは、当時は携帯電話などもなく、連絡する手段もなく、会うことも連絡することもなく、今日に至ってしまっていましたが、先月の終わり頃にフェイスブックを通して、連絡があり、偶然にも同じ内視鏡医になっているとのことで、20数年ぶりに会う約束を交わして、再会することができました。昔の彼女に会うかのように少しドキドキしながら、居酒屋で再会しましたが、昔と変わることのない姿で、嬉しくもあり、少し気恥ずかしいような男同士の20数年ぶりの再会でした。
私は高校時代は大分県で過ごしたのですが、浪人する大部分の高校の同級生は福岡県の博多にある河合塾や駿台などの予備校に入るのが通例となっていました。私は、自分の性格を考えると、みんなと一緒に予備校に入ると、必ず遊んでしまうと自分で分かっていましたので、高校の同級生から身を隠すように一人っきりで、地元から少し離れた広島市内の河合塾の寮に入って、広島で浪人生活を頑張ることを決意しました。今までのだらけた、怠惰な生活におさらばすべく、誰も知らない広島の地で勉強だけをすることを決意して、単身電車に乗って、広島に乗り込んだ18歳の春でした!
浪人時代は、遊びに夢中になっていた高校時代とはうって変わって、勉強だけに集中しました。朝5時に起きてから、食事中もお風呂に入っているときも、予備校への通学中も二宮金次郎ばりに道を歩きながら英単語や古文単語を覚えたりしていました。夜12時に寝るまでの間、ほぼ1日19時間近く、分刻みで勉強だけに集中して頑張っていました。今考えると、よくそのような生活ができたなと思いますが、国立の医学部に合格するしか生きる道はなく、切腹覚悟の崖っぷちの浪人生活でした。浪人生活は様々な誘惑がありましたし、周りの友達たちも結構遊びを満喫しているみたいでしたが、私は頑固に1日でも1分でも遊んだら一生後悔するとの思いで、1日もサボることなく、予備校と寮の往復のみの生活を貫きました。
その中で唯一の楽しみは、お昼ご飯に食べていた「広島風お好み焼き」でした。広島市内にはたくさんのお好み焼きのお店がひしめき合うように立っており、100メートルぐらい歩くと、お店がある程のお店の数の多さでした。死ぬ1日前に食べたい食事は?と聞かれると、即答で「広島風お好み焼き」と答えるだろうなあと思うぐらい大好きですし、広島に住んでいた1年間ほぼ毎日お昼ご飯は「広島風お好み焼き」でした。
男同士、同じ目標に向かって頑張るのみの間柄でしたが、同じ目標に向かって懸命に努力した2人にしか分からない20数年の空白を埋める楽しいひとときでした。